Mag-log in第十三話 忍び寄る猛威
三原屋が勝来をトップに据えて三か月。
段々と勝来も、自分の立ち位置に慣れてきた頃である。
「えっ? 私が?」 菖蒲は驚いていた。
菖蒲は中級妓女として二階の部屋を使わせてもらうようになった。
つまり出世である。
夜の営みなどがある場合は、下女であれば金額も安いため 大座敷にパーテーションを立てての行為であり、横の営みなどが丸聞こえである。
しかし、恥ずかしいなどとは言っていられない。 とにかく稼がないといけない立場である。
今回、菖蒲が中級妓女になり、二階の部屋が徐々に埋まってきた。
これは酒宴の間を含む、部屋数が限られるからだ。
ここで、二階を使うのが
勝来、信濃、花緒、菖蒲となる。 ただ酒宴の場所は数か所あり、これは客の払いによって下女でも使用できる。
下女を好きで推しているのであれば大金を使い、階級を上げようとする客も居る。
現在のアイドルを推す構図と、そんなに変わらない。
そして地道に頑張ってきた菖蒲の結果が、実を結んだのである。
「よかった……本当に良かったよ、姐さん」 勝来は、薄っすらと涙を浮かべた。
(勝来……) これには菖蒲も勝来に感謝をしていた。
派手な売り出しによる見世の戦略に、菖蒲もオコボレが舞い降りてきていた。
それをしっかり、チャンスをモノにしてきた菖蒲の粘り勝ちである。
現在のアイドルも同じであろう。 経営者は、誰かセンターを置いて活動を始める。 この構図がないと戦略は成り立たないのであろう。
「姐さん、これからです。 お互いに頑張りましょう」 勝来は、菖蒲を讃《たた》えた。
「まぁ、位が高くても、私が居ないとダメな勝来の為に頑張るわ♪」
菖蒲は、姉気質がある。 玉芳の傍で長女役の菖蒲は、勝来が上級妓女でも妹として見ているのに変わりはなかった。
「ふふっ……」 舌を出し、照れくさそうにしている勝来も少女のようであった。
そして冬がくると、寒さもあって客足も減ってくる。
この季節は、多くの妓楼も頭を悩ませていた。
現代であれば、ハロウィンやクリスマス商戦もある。
客で言えば、ボーナスがあれば懐具合で商売にも力が入る。
ここは明治の初期、幕府も無くなり景気は下がっていた。
「前なら、参勤交代の武家様が昼見世に来てくれたんだけどね~」 采はボヤいていた。
「勝来、ちょっといい?」 勝来の部屋に花緒がやってきた。
「あら、花緒姐さん」
花緒は近江屋の中級まで上がった妓女である。
近江屋の閉鎖と共に、三原屋でスカウトされて買い取った妓女なのだ。
「今日、宴席があるんだけど金払いが良いのよ……一緒に参加してくれない?」 花緒が切り出したが、変な話である。
普通は、自分が主催の宴席ならば格下の妓女を使う。 あえて格上の勝来に話しが来る事に違和感を覚えた。
「ありがたい話しでありんすが……どうして私を?」 勝来は事情を聴いていた。
「これは内緒の話し……初見さんではないけど、数名で来るのよ。 そこで安い妓女を充《あ》てられないし困っていたの……」
「へぇ……」 勝来は思考が追い付いていなかった。
「もちろん菖蒲などにも話すんだけど、順として勝来からと……」
花緒は手を合わせ、勝来に頼んでいた。
「そうですか……予約が入っていなかったら受けますが……」
「そう♪ お願いね」 花緒は部屋から出ていった。
その後、勝来が予定を確認すると
「今日ですね。 えっと……夜に酒宴が入っております」 片山は、台所の予定表を見て伝えた。
そして 「花緒姐さん、すみません。 予定が入っていました」 勝来が謝ると、 「そっか……残念」 そうこぼして去っていった。
夜見世の時間、勝来は梅乃と小夜を連れて引手茶屋に来ていた。
「あそこの間か……」 勝来はチラッと覗いた。
花緒が居た。 客は四人、そこには下女が二人と菖蒲が同席していた。
「姐さん、居たんだ……」 勝来は、その場を離れて客の待つ部屋に向かった。
そして、勝来は宴席の場に座っていた。
この日の客が多く、梅乃や小夜までもが宴席の食事出しをしている。
「失礼しんす……」 梅乃が花緒の宴席まで料理を運んで行った時である。
(なんか雰囲気が悪いな……菖蒲姐さん、大丈夫かな?) それなりに宴席を見てきた梅乃は、雰囲気の違いを察していた。
そして、 勝来の部屋に入り、梅乃が勝来に耳打ちをすると
「……わかった」 勝来は理解し、梅乃に耳打ちを返した。
そして梅乃は采のいる、やり手の席に向かって話しかけた。
「どうした梅乃?」 采は、梅乃の様子の違いに気づいた。
そして梅乃は采に耳打ちをする。
「なるほど……わかった」 采は納得をし、二階へ向かった。
しばらくして、采が戻ってきた。
「おい、安子。 お前、信濃の部屋に入って菖蒲と替わりな」
采は、梅乃の言葉を信じたのだ。
そして夜も遅くなり、床入りの頃
「貴様―っ」
花緒の客の一人が大声をあげた。
酔って喧嘩腰になっていたのである。
ここでは酒が入ると強気になる客も少なくない。
江戸の流れから、粋を語る者もいる。 これは『喧嘩は花』 と思う男である。
慌てて妓女は逃げ、男性職員が取り押さえることとなる。
片山も、その一人だ。
その後、大声で威嚇した客は退場させられた。
そして残った客は床入りとなるが、宴席で三人が寝るという変わった趣向をもった客たちであった。
いくら妓女でも恥じらいやプライドを持っている。 一度は断るも、客の要望もあり、金を上乗せして事が始まった。
襖越しに聞こえた梅乃も子供ながらに
(悪趣味だ……) と、思っていた。
「グスッ……」 菖蒲は勝来の宴席で泣いていた。
「姐さん、お客さんの前ですよ……」 勝来は困っていた。
「あはは……勝来さんは人望があるね~ さすがお武家様の娘さんだ」 客は勝来を気に入っており、嫌な顔はしなかった。
梅乃が菖蒲のピンチを救い、無事に夜が明けた。
「助かったよ~ 梅乃~」 菖蒲は梅乃に頬ずりをしていた。
「何もなくて良かったです」 梅乃も安堵していた。
その二か月後の事である。
「お医者様、どうです?」 采が医者に訊ねる。
医者は首を横に振っていた。 これは梅毒に感染した事である。
「ふぅ……」 采は肩を落とした。
菖蒲の代打で宴席に入った安子が梅毒に感染してしまった。
菖蒲はゾッとしていた。
(あの時、梅乃がお婆に言わなかったら私が……)
「梅乃、小夜、安子を離れに案内しな」 采が言って、梅乃たちが安子を案内する。
“離れ ” とは、病気や妊娠した妓女を隠す場所である。
三原屋は人気妓楼の為、見世の中に離れは作れない。 その為、お歯黒ドブの近くに河岸見世などが並ぶ長屋を借りていた。
そこに病気や妊娠した妓女を住まわせているのだ。
そして妓女は、宿代や食事代などが見世に借金として残る。
借金が膨らんだ妓女は病気が治ったり、出産をした妓女が見世に戻って働くことになるのだ。
(ここも、いっぱいになるな……) 梅乃は、長屋で様子を確認する仕事があった。
その中で、病気が進み、治る見込みの無い妓女の面倒も看《み》ていた。
「これは……」 病気の進行は梅乃でも分かってきていた。
(鳥屋《とや》について四か月……厳しいか……)
『鳥屋につく』 病気をして寝込むことである。
鷹《たか》などの鳥が夏毛から冬毛に変わる際に毛が生え替わることに喩《たと》え、
梅毒などにかかり 髪が抜けて、再び生えてくることから呼ばれている。
そして、離れの状況を采に伝えると 「ふぅ……」 と、息を漏らした。
当然だが、これから稼げる妓女も最初に病気になってしまえば使えない。
そして病気が重くなると、妓楼主が妓女の実家に向かう。
そして、「妓楼が見世で死なれても困る。 年季証分は返してやる代わりに、家に連れて帰って、死に水を取ってやりなさい」 と、恩着せがましく言うのだ。
妓楼としても、厄介者は早めに処分したいのである。
つまり借金は無しになる。 貧困で苦しみ、妓女に出る娘は親孝行と言われていたのである。
中には梅乃や小夜のように、親や親族も分からない妓女は、ろくに治療もせず亡くなったら速《すみ》やかに亡骸《なきがら》を包み、浄閑寺《じょうかんじ》に運ぶようになっている。
妓女も命がけで暮らしているのである。
「またか……」 ここ数日で感染者が増えていき、三原屋は危機を感じていた。
「―もう長屋はいっぱいです」 梅乃が伝えると、采は男性職員に合図をした。
こうなると、妓女の間でも疑心暗鬼になってくる。
“もしかしたら、自分も感染している ” のかと思ってしまう妓女も出てきていた。
「まずいねぇ……私たちで何とか」 菖蒲と勝来は相談していた。
そして一つの案が出てきた。
「全員、医者に診せるだと~? いくら掛かると思っているんだい!」 采が菖蒲に怒鳴っていた。
何回もそろばんで計算しても、結構な値段になってしまう。
そこに梅乃が思いつき、采に相談した。
「はい?」 采は驚き、声を出した。
第四十九話 接近 春になり、梅乃と小夜は十三歳になる。 “ニギニギ ” 「みんな よくな~れ」 桜が咲く樹の下、禿の三人は手を繋ぎジャンプをする。 「こうして段々と妓女に近くなっていくね~♪」 小夜はワクワクしている。 (小夜って、アッチに興味あるんだよな~) 梅乃は若干、引いている。 「そういえば、定彦さんに会いにいかない? 『色気の鬼』なんて言われているし、そろそろ習わないと……」 小夜は妓女になる為に貪欲であった。 「なら、お婆に聞かないとね。 定彦さんもお婆に聞いてからと言ってたし」 梅乃たちは三原屋に戻っていく。「お婆~?」 梅乃が声を掛けると采は不在だった。「菖蒲姐さん、失礼しんす」 梅乃が菖蒲の部屋に行くと、勝来と談笑をしていた。「何? どうしたの?」 菖蒲が聞くと、「あの……定彦さんから色気を習いたいのですが……」(きたか……) 菖蒲と勝来は息を飲む。「あのね、梅乃……お婆は会うのはダメと言っているのよ……」 菖蒲が説明すると、「そうですか……」 梅乃は肩を落とす。「理由は知らないけど、そういうことだから」 梅乃が小夜に話す。「理由は知らないけど、お婆がダメと言って
第四十八話 鬼と呼ばれた者とある午後、菖蒲と勝来で買い物をしていた。 本来なら、立場的に御用聞きなどを頼めるのだが気晴らしがてらに外出をしている。 「千堂屋さんでお茶を飲みましょう」 菖蒲が提案すると、勝来は頷く。 「こんにちは~」 菖蒲が声を掛けると、 「あら、菖蒲さん。 いらっしゃい」 野菊が対応する。 「お茶と団子をください」 妓女である二人だが、年齢でいえば少女である。 こんな楽しみを満喫してもいい年齢だ。 そこに、ある張り紙が目に入る。 「姐さん、あれ……」 勝来が指さすものは、注意書きであった。 そこには、『円、両 どちらも使えます』という張り紙だった。 明治四年、政府の発表では日本の通貨が変更される事だった。 吉原では情報が遅く、いまだに両が使われていた。 通貨の変更から一年が過ぎ、やっと時代の変化に気づいた二人だった。 江戸時代であれば、両 文 匁などの呼称であったが、明治四年からは、円 銭《せん》 厘《りん》という通貨になっていた。 ただ、交換する銀行が少ない為に両替ができない場合もあり、両なども使えていた。 「時代が変わり、お金も変わるのね~」 実際、働いたお金のほとんどが年季の返済になっていて、手にするお金は小遣い程度だ。 価値などは分からなくて当然だった。 三原屋に帰ってきた二人は、采に通貨の話をすると、 「あ~ なんか聞いてたな……そろそろ用意しようかね~」
第四十七話 遊女の未来明治六年 三月。 政府の役人が礼状を持ってきた。「去年の秋にお達しが来ているはずだ。 妓女を全員解放するように」「はぁ……」 文衛門は肩を落とす。明治五年の終わり、政府からの通知が来ていた。日本は外国の政策に習い、遊女の人身売買の規制などを目的とした『芸《げい》娼妓《しょうぎ》解放《かいほう》令《れい》』が発令される。遊女屋は「貸《かし》座敷《ざしき》」と改名される。 そして多くの妓女は三原屋を出て行くことになる。妓女のほとんどが「女衒」や「口減らし」を通して妓楼へやって来ているからだ。そういった妓女を対象に解放をしなくてはならない。三原屋では妓女の全員と古峰が対象となる。 梅乃と小夜は捨て子であり、三原屋で育っているからお咎《とがめ》めはない。再三の通告を無視し続けていた吉原にメスが入った形だ。「お婆……私たち、どうすれば……」 勝来と菖蒲が聞きにくると、「ううぅぅ……」 采は悩んでいる。妓女たちも不安そうな顔している。「ちょっと待っててください」 梅乃は勢いよく三原屋を飛び出す。「どこ行ったんだ?」 全員がポカンとしている。梅乃は長岡屋に来ていた。
第四十六話 袖を隠す者 昼見世の時間、禿たちは采に指示を受けていた。 「いいかい、妓女として芸のひとつは身につけておかないとダメだ! 舞踏、三味線、琴でもいい…… わかったね!」「はいっ!」 三人は元気に返事する。 この冬を越えれば梅乃と小夜は十三歳となる。 菖蒲や勝来は十四歳の終わりに水揚げをし、十五歳になったら客を取る準備をしなければならない。 それまでの準備期間となる。「まだ早いんじゃないか?」 文衛門が采に言うと 「あぁ、そうだね……早いかもね」 采は冷静な口調で返す。 「だったら何故……」 「今、しなかったらアイツ等は ずっと悲しんでるだろ? 気を逸《そ》らしていくのさ」 采は、そう言ってキセルに火をつける。 これは、采の考えがあっての行動である。 赤岩の死後、落ち込んだ空気を一変させる必要があったのだ。 これは禿だけではなく、三原屋や往診に出た見世にも言えることであった。 これにより、三原屋の妓女は禿たちに芸を教えることになる。 二階の酒宴などで使う部屋が練習部屋になっている。 古峰は琴を習っていた。 その要領は良く、習得が早い。 教えていたのは信濃である。「古峰……アンタ凄いわね」 信濃は目を丸くする。「い いえ、信濃姐さんが優しく教えてくれるので……」 古峰が謙遜すると、「嬉しい事を言ってくれる~♪」 信濃は古峰の肩を抱く。
第四十五話 名も無き朝深夜から明け方にかけて、岡田は梅乃の身体を温めていた。心配もあり、以前に玉芳が使っていた部屋を借りている。「梅乃、まだ寒いか?」 声を掛けると、「うぅぅ……」 声は小さいが、かすかに反応を見せる。 (よかった……) 岡田は梅乃と同じ布団に入り、体温の低下を防いでいた。 そこに小夜と古峰が部屋に入ってくる。 「梅乃―っ 大丈夫…… って……あの、何を……?」小夜と古峰が見たものは、一緒の布団に入っている二人の姿だった。「いやっ― これは体温低下を防ぐ為にだな……」 岡田が説明していると、「そんなのは、どうでもいいです。 梅乃はどうですか?」小夜は顔を強ばらせている。「体温は戻ったようだ。 何か温かいものを飲ませてくれ」 岡田は布団から出て、赤岩の部屋に向かった。外は、まだ暗いが朝が近づく。これから妓女たちは『後朝の別れ』をしなくてはならない。 岡田は息を潜めるように赤岩の横に座った。二階も騒がしく、菖蒲、勝来、花緒の三人も後朝の別れを始める。二階を使う妓女たちは、朝の目覚めの茶を入れる。そして客が飲み干し、満足そうにしたら後朝の別れとな
第四十四話 静寂の月赤岩が布団で横になっている。 そこに梅乃が看病をする。 岡田は中絶の依頼を受け、妓楼に向かっていた。「先生、しっかり……」 梅乃が赤岩に声を掛けている。 大部屋の妓女たちも赤岩の部屋を見てはザワザワしていた。「お前たち、さっさと支度するんだよ! 仕事しな、仕事……」これには采も見かねたようだ。夕方、妓女たちは引手茶屋に向かう。 その中には小夜や古峰もいるが、梅乃は赤岩の看病で部屋に籠もっていた。「先生……私はいます。 まずは安心して休んでください」 梅乃は濡れた手ぬぐいで赤岩の身体を拭いている。「梅乃……」 小さな声が聞こえる。 これは赤岩がうわごとの様に発している。 「先生……私はここにいます」 この言葉を何度言ったろうか。 やり手の席には采が座っているが、落ち着かない表情をしていた。そこに引手茶屋から妓女が客を連れて戻ってくる。 これから夜見世の時間が始まる合図である。梅乃は部屋から出て、客に頭を下げる。 時折、笑顔を見せては客を歓迎していく。 この笑顔に采は悲痛な思いを寄せていた。客入りの時間は岡田も三原屋に戻ってこられない。 もし、終わっていても何処かで時間を潰さないとならない。 客に安心を与える場所であり、夢の時間を